最高裁判所第二小法廷 平成9年(オ)966号 判決 1998年2月13日
上告人
津嘉山貞雄
右訴訟代理人弁護士
宮國英男
被上告人
金城寛
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人宮國英男の上告理由について
一 通行地役権(通行を目的とする地役権)の承役地が譲渡された場合において、譲渡の時に、右承役地が要役地の所有者によって継続的に通路として使用されていることがその位置、形状、構造等の物理的状況から客観的に明らかであり、かつ、譲受人がそのことを認識していたか又は認識することが可能であったときは、譲受人は、通行地役権が設定されていることを知らなかったとしても、特段の事情がない限り、地役権設定登記の欠缺を主張するについて正当な利益を有する第三者に当たらないと解するのが相当である。その理由は次のとおりである。
(一) 登記の欠缺を主張するについて正当な利益を有しない者は、民法一七七条にいう「第三者」(登記をしなければ物権の得喪又は変更を対抗することのできない第三者)に当たるものではなく、当該第三者に、不動産登記法四条又は五条に規定する事由のある場合のほか、登記の欠缺を主張することが信義に反すると認められる事由がある場合には、当該第三者は、登記の欠缺を主張するについて正当な利益を有する第三者に当たらない。
(二) 通行地役権の承役地が譲渡された時に、右承役地が要役地の所有者によって継続的に通路として使用されていることがその位置、形状、構造等の物理的状況から客観的に明らかであり、かつ、譲受人がそのことを認識していたか又は認識することが可能であったときは、譲受人は、要役地の所有者が承役地について通行地役権その他の何らかの通行権を有していることを容易に推認することができ、また、要役地の所有者に照会するなどして通行権の有無、内容を容易に調査することができる。したがって、右の譲受人は、通行地役権が設定されていることを知らないで承役地を譲り受けた場合であっても、何らかの通行権の負担のあるものとしてこれを譲り受けたものというべきであって、右の譲受人が地役権者に対して地役権設定登記の欠缺を主張することは、通常は信義に反するものというべきである。ただし、例えば、承役地の譲受人が通路としての使用は無権原でされているものと認識しており、かつ、そのように認識するについては地役権者の言動がその原因の一半を成しているといった特段の事情がある場合には、地役権設定登記の欠缺を主張することが信義に反するものということはできない。
(三) したがって、右の譲受人は、特段の事情がない限り、地役権設定登記の欠缺を主張するについて正当な利益を有する第三者に当たらないものというべきである。なお、このように解するのは、右の譲受人がいわゆる背信的悪意者であることを理由とするものではないから、右の譲受人が承役地を譲り受けた時に地役権の設定されていることを知っていたことを要するものではない。
二 これを本件について見ると、原審が適法に確定したところによれば、(1) 分筆前の沖縄県島尻郡与那原町字与那原湧当原三六〇四番一の土地を所有していた玉井喜與子は、昭和四六年ころ、これを六区画の宅地及び東西三区画ずつの中央を南北に貫く幅員約四メートルの通路として造成した、(2) 右通路は、その北端で、右分筆前の土地の北側に接して東西方向に通る公道に通じている、(3) 右分筆前の土地の西側に接して南北方向に通る里道があるが、その有効幅員は一メートルにも満たない、(4) 玉井は、昭和四九年九月、右六区画のうち西側中央の三六〇四番八の土地(第一審判決別紙物件目録二記載の土地)を被上告人に売り渡し、その際、玉井と被上告人は、黙示的に、右通路部分の北側半分に相当する本件係争地に要役地を三六〇四番八の土地とする無償かつ無期限の通行地役権を設定することを合意した、(5) 被上告人は、以後、本件係争地を三六〇四番八の土地のための通路として継続的に使用している、(6) 玉井は、昭和五〇年一月ころ、右六区画のうち東側中央、南東側及び南西側の三区画並びに右通路部分を新垣宏昌に売り渡し、これらの土地は、その後分合筆を経て昭和五九年一〇月に三六〇四番五の土地(第一審判決別紙物件目録一記載の土地)となった、(7) 玉井と新垣は、右売買の際に、黙示的に、新垣が玉井から右通行地役権の設定者の地位を承継することを合意した、(8) 新垣は、右売買後直ちに、本件係争地を除いた部分に自宅を建築し、本件係争地については、アスファルト舗装をし、その東端と西端に排水溝を設けるなどして、自宅から右公道に出入りするための通路とした、(9) 被上告人は、昭和五八年、三六〇四番八の土地に、東側に駐車スペースを設け、玄関が北東寄りにある自宅を建築し、本件係争地を自動車又は徒歩で通行して右公道に出入りしていたが、新垣がこれに異議を述べたことはなかった、(10) 新垣は、平成三年七月、三六〇四番五の土地を上告人に売り渡したが、上告人が新垣から右通行地役権の設定者の地位を承継するとの合意はされていない、(11) しかし、上告人は、三六〇四番五の土地を買い受けるに際し、現に被上告人が本件係争地を通路として利用していることを認識していたが、被上告人に対して本件係争地の通行権の有無について確認することはしなかったというのである。
そうすると、三六〇四番八の土地を要役地、本件係争地を承役地とする通行地役権が設定されていたものであるところ、上告人が本件係争地を譲り受けた時に、本件係争地が三六〇四番八の土地の所有者である被上告人によって継続的に通路として使用されていたことはその位置、形状、構造等の物理的状況から客観的に明らかであり、かつ、上告人はそのことを認識していたものということができる。そして、本件においては前記特段の事情があることはうかがわれないから、上告人は、右通行地役権について、これが設定されていることを知らなかったとしても、地役権設定登記の欠缺を主張する正当な利益を有する第三者に当たらないものと解すべきである。
三 したがって、原審が上告人を背信的悪意者であるとしたことは、措辞適切を欠くものといわざるを得ないが、上告人が被上告人の通行地役権について地役権設定登記の欠缺を主張する正当な利益を有する第三者に当たらないとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響のない事項についての違法をいうに帰するものであって、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一 裁判官福田博)
上告代理人宮國英男の上告理由
原審は、民法一七七条の「第三者」について解釈適用を誤り、これが判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背であるので、原判決は破棄されなければならない。
第一 最高裁判所判例の分類
1 背信的悪意者排除について
原審は上告人をいわゆる背信的意思者と認定して民法一七七条の第三者にあたらないとしている。この点についての判断は一審と原審で正反対である。最高裁判所昭和四三年八月二日小法廷判決は、「実体上物権変動があった事実を知る者において右物権変動についての登記の欠缺を主張することが信義に反するものと認められる事情がある場合には、かかる背信的悪意者は、登記の欠缺を主張するについて正当な利益を有しないものであって、民法一七七条にいう第三者に当たらないものと解すべき」と判示する。
ここで問題は登記の欠缺を主張することが信義に反するものと認められる事情がどのようなもので、本件の場合果たしてそれに該当するかどうかである。
2 判例の分類
この点について、一般的な基準を設けて説明するものはないが、別冊ジュリスト民法判例百選Ⅰ総則・物権第四版二一ページの池田恒男教授の分類によれば次の通りである。
「最高裁判例に見られる背信的悪意者を単純化して類型化すると、とりあえず次のことを指摘できる。
第一に、当該物権変動を前提として行動した者やそれに協力しあるいはその実現に助力すべき立場に立った者。
第二に、当該権利取得者に対する害意者ないし権利取得の対抗要件の欠如につけ込んで寄生者的利益を目指した者。
第三に、自己が当該物権に法律上の利害関係を持つに至る際の行為の態様に背信性を認められる者。
第四に、譲渡人(原権利者)と密接な特殊関係(親族など)にあり利害一体とみなされる者である。」
我妻・有泉教授物権法一六三ページ以下もほぼ右と同様の分類をしている。
二 原審が上告人を背信的悪意者と認定した理由
さて、本件の場合右池田教授の第一ないし第四の類型のうち、いずれに該当するものと認定しているのであろうか。原審判決二八ページ四以下は次のような事実認定のもとで、上告人を背信的悪意者と認めている。
① 上告人が本件五土地を購入した際、本件係争地が同番八の通路として必要不可欠であることはその形状や利用状況から一見して明白であること。
② 上告人は、現に被上告人が本件係争地を通路として利用していることや、これを利用できなくなれば幅員の狭い本件里道を通行するか多大な費用をかけて同番七に通路を設けるほかなくいずれにしても被上告人に予想外の損害が生じることを認識していたこと。
③ これらのことから上告人は同番八のために本件係争地を通行する何らかの権利が設定されていることを当然に知っていたかあるいは容易に知り得たこと。
④ 本件五土地の購入に当たって、その必要が乏しいにもかかわらず同番八から本件係争地に出入りする図面一記載のef間を閉鎖することを考えたこと。
⑤ 右通行権について登記がされておらず、被上告人が建築確認申請に当たり同番七に道路を設けることを予定していたことや、前主の新垣が被上告人の通行権を否定したことに藉口して、被上告人に対し何ら本件係争地について通行権の有無を確認していないこと。
⑥ 本件五土地購入後間もなく、被上告人には本件係争地を通行する権利がないと主張するに至ったこと。
というものである。
三 原審の検討
本件の場合、原審が上告人を右分類の第一、四項に該当するものとしての認定したものではないことは明らかである。
また、第二の場合でもないことは明らかである。上告人が寄生的な利益を目指したものではないことは明白だからである。
そこで原審は第三の場合を問題としているようでもある。しかし、第三の分類で挙げられる例は、昭和四四年四月二四日最高裁判所小法廷判決(民集二三巻四号九頁)のような場合で、それは第二譲受人が第一譲受人の仮登記を欺罔的方法を用いて取り下げさせて登記名義を自己に移転させたという事案である。
しかし、上告人は本件係争地を取得する際、本件係争地について前主の新垣から被上告人には、好意で通行させているという趣旨のことを言われて取得したのであり、その取得の際の行為に背信性が認められるものではない。
四 原審の立場
そうすると、原審はこれまでの最高裁判所のどの判例とも異なり、本件について新たに第五の類型としての背信的悪意者を創出するものと言わざるを得ない。しかし、それは新しい類型としても到底背信性を認定しうるものではない。
そこで右三の各理由を検討する。
1 理由①について
なるほど、上告人が本件係争土地を購入した際、本件係争地が同番八の通路として必要であることはその形状や利用状況から一見して明白ではあったかも知れない。しかし、それが必要不可欠だったかというと、被上告人の住宅に面して里道が存在しており、本件通路が不可欠の通路だったということまではいえない。
しかし、仮に上告人が本件通路が被上告人の通路として必要不可欠だと知っていたとしても、これが直ちに通行地役権の存在まで知っていたことにはならない。むしろ、上告人は前主の新垣から被上告人らを善意で通行させていたものであるとの説明を受けていたのであり、上告人においては、通行に関する権利設定はないと判断していたものである。
2 理由②について
理由②は本件里道を通行することや同番七に通路を設けることが被上告人にとって予想外の損害を生じることになるというものである。しかしかかる理由には、全く根拠がない。
まず、里道を通行することが何故、予想外の損害をもたらすことになるのか。考えうる損害としては、他に駐車場を求めなければならなくなり、駐車場料金の出捐を余儀なくされるという程度のものであろう。
しかし、駐車場を住宅と離れた別の土地に設けることは通常の我々の生活の中でもありうることであり、それが予想外の損害というには、余りにもかたよった事実認定と言わざるを得ない。
また同番七に通路を設けることが果たして予想外の損害であろうか。和子所有地と被控訴人所有地は、隣接しており、被控訴人所有地の実質上の買主は和子自身である。和子が被控訴人のためにその所有地に通路を開設することは何ら予想外のことではない。
原審は多大な費用がかかるという認定をしているようであるが、果たしてどの程度の費用を想定しているのかも明らかでない。もとよりある程度の費用はかかるであろうが、それは自己の土地を有効に利用しようとする被上告人にとって、当然に予定すべき出費である。
3 理由③について
理由③についてであるが、原審は上告人が通行地役権の設定されていることについて悪意であったことさえ認定していないことがここで明白である。原審は上告人が「(被上告人が)通行する何らかの権利が設定されていることを当然に知っていたか、あるいは容易に知り得た」と判示するのみで、通行地役権設定の事実を知っていたとの認定はしていないのである。そうすると、原審は悪意さえ認定していない者に対して背信的悪意者排除論を適用するものであって、これまでの最高裁判所の判例の射程範囲を著しく逸脱し、全く独自の見解を述べるものである。
そもそも背信的悪意者排除論は、民法一七七条の第三者には悪意者も含むという判例学説の到達点から、さらに悪意者の中でも信義則に反するような悪質者を同条の第三者から排除しようとする論理である。したがって、そもそも悪意でないものは背信的悪意者ではない。この点原審は悪意でないものも背信的悪意者として認定している点に、法令違背があるのである。
ところで、原審は、あるいは「通行する何らかの権利」の存在について悪意であれば、通行地役権の存在についての悪意は、背信的悪意を論じる前提としての悪意としては不要であるという見解のようでもある。
そうすると、問題は背信的悪意者という場合の悪意者とは、何を意味するのかということである。原審はこの点「何らかの権利」について知っているか、容易に知りうる者で足りると判断している訳である。
しかし、民法一七七条は物権変動における対抗要件の問題であり、そこでこれまで議論されてきた悪意者とは、対立する物権変動の存在を知っていることを言うのである。
一概に「本件係争地を通行する何らかの権利」というが、何らかの権利といった場合、使用借権、賃借権、通行地役権、囲繞地通行権等様々である。仮に上告人が「何らかの権利」の存在を知っていたとしてもその悪意の内容そのものが不明確である。前述したように、むしろ、上告人は前主の新垣から被上告人らを好意で通行させていたものであるとの説明を受けていたことからすると、物権としての権利の存在を知っていたとは到底推認できないのである。
またそもそも、「本件係争地を通行する何らかの権利」を知っていたか容易に知り得たという認定も根拠のないものである。隣人関係においては権利の設定なく、本件のように好意で隣人の通行を認めるということもままあることである。そうすると、新しい所有者にとって、これまでの通行人が好意で通してもらっているのか、権利の設定を受けて通してもらっているのか全く判別がつかない。原審はそこに通路があり、人が通行している以上、権利の設定があると認定する立場のようであるが我々の隣人との日常生活における人間関係が、特に権利関係の設定もなくお互いの善意や好意で成り立っている部分のあることを否定するものであり、到底納得のいくものではない。
被上告人は、通行に関する権利設定はないと判断していたものである。背信的悪意者と認定し得ない。
更に、原審は前述したように、背信的悪意者を排除する前提として悪意さえ不要との立場を採るものである。即ち、原審は「何らかの権利」を「容易に知り得た」と認定して、何らかの権利について善意であっても容易に知り得た場合は悪意と同等に扱うものである。
しかし、これなどは判例がこれまで一貫して民法一七七条の第三者に単なる悪意者が含まれること、悪意者の過失の有無を問題にしないとした学説判例の態度に真っ向から反するものである。
4 理由④について
④は本件五土地の購入に当たって、その必要が乏しいにもかかわらず同番八から本件係争地に出入りする図面一記載のef間を閉鎖することを考えたこと。
しかし、ef間を閉鎖することを考えたのはあろうことか、被控訴人が本件係争地についてその所有権を主張するようになったからである。被控訴人自身は本件土地購入後も新垣と同様、好意で被控訴人が本件係争地を通行することを黙認するつもりであったが、被上告人が高飛車に本件係争土地の所有権を主張しはじめたからである。
また、ef間は閉鎖しようとしたのではなく、門扉を取り付けようとしたのである。門扉を取り付けること、背信的悪意者と何の関係があるのであろうか。
従って、原審の判断の基礎となっているのは、上告人が本件土地を取得する際の事情ではない。原審は上告人が本件土地を取得した後の事情をも、背信的悪意者と認定する資料として用いるものであり、民法一七七条の射程が不動産物権変動における対抗力の問題であることを全く看過していると言わざるを得ない。
5 理由⑤について
果たして上告人は被控訴人に対し、通行権の有無を確認すべき注意義務があるだろうか。上告人はこれを肯定するもののようであるが、その根拠は明らかでない。
6 理由⑥について
それは前述したように、被控訴人の心ない言動に端を発するものである。
しかし、それにしてもこの理由⑥も全く乱暴な立論である。何故、所有権者が自己の土地を通行している者に対して、「本件係争地を通行する権利がない」と主張することが、背信的なのであろうか。全くその意図するところが不明である。原審の立場によれば、通行する権利がないと主張しなければ、即ち、沈黙していれば、背信的悪意者にはならなかったであろうというものであり、権利主張をしない者を保護するということになるのである。
以上見てきたように、原審が背信的悪意者と認定した各事実は事実誤認があったり、当該認定事実を前提としても到底背信性を認められるものではないのである。
五 被控訴人の背信性
権利を取得したものは自らその権利の保護に努めるべきである。然るに、仮に被控訴人が本件係争地について通行地役権を取得していたというのであるならば、それを登記すべきである。
ところが、被控訴人は建築確認申請の際に新垣に通路としての承諾をもらおうとしたところ、これを拒否されたため、建築基準法の脱法行為を行っている。原審はこの点について被控訴人の脱法行為を認めながら上告人の不法性の程度に比較して上告人の背信性の程度の方がなお強いと述べる。
しかし、百歩譲って公庫融資を受けるための便法として脱法行為を行ったことをとがめないとしても、その脱法行為の目的を達したなら、直ちに新垣に対して通行地役権確認の訴を提起するなりして、自己の権利の獲得に努力すべきである。
ところが、被控訴人は住宅建築が完成しても、通行地役権確保のために行動を何もしていないのである。仮に被控訴人に真に通行地役権があり、自己の権利保護に熱心であったなら、上告人も本件土地を取得するに当り、それなりに権利の付着したものとして評価して取得することが出来たのであり、被控訴人の怠惰こそ、上告人に不測の損害を与えているのである。
六 まとめ
原審は被控訴人に対し、無償無期限の通行地役権を認めた。被控訴人は本件通行部分の開始について一切の費用を負担していないし、一切の維持費も負担していない。それにもかかわらず、無償で無期限の通行権が認められるというのは余りにも不公平で条理に反するものである。これも、ひとえに原審が一七七条の法令解釈を誤り、著しい法令違背を犯したからに外ならない。
第二 公序良俗違反
原審は右のように被控訴人に無償、無期限の通行地役権を認めるもので、これは上告人の所有権を侵害する程度が著しく、このような内容の通行地役権は、公序良俗に反するものである。
まず、無償の根拠は何であろうか。例えばこれが互いに何らかの利益を譲り合うものであるなら、無償ということも理解できる。しかし、そのような場合でもない限り、一方が他方に無償で通行を認める根拠はないはずである。
次に、無期限の根拠は何であろうか。通行地役権は、所有者の所有権を著しく制限するものであり、それが無期限となるとその制限の程度は甚だしいものがある。例えば、囲繞地通行権さえ後に袋地公道に接するなどして囲繞地でなくなった場合には、通行権は消滅する。
これ同様、通行地役権が後日、事情が変動し、通行のようがなくなる場合もあるのであるから、これが無期限に認められる根拠はない。